ブータン、ネパール、インド、中国の4か国に分布している蔵族(チベット族)

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ブータン、ネパール、インド、中国の4か国に分布している蔵族(チベット族)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室の四川のグルメ王こと、文 慶洪です。

 

今日は蔵族(以下、チベット族)についてお伝えいたします。

 

 

 

 

 

 

 チベット族は主にブータン、ネパール、インド、中国の4か国に分布しています。チベット族の大部分が中国の統治下におかれていますが、この中で唯一のチベット族の独立国家がブータンだけとなります。この四ヵ国合わせて約600万人以上おり、中国で約500万人、ブータンで約60万人いると言われています。

 

 

 

 

 

 

チベット民族の起源に関しては二つの伝説があります。

 

 

 

 

 

一つはインド人起源伝説です。カウラヴァ軍のルーパティ王、またはその指揮官がパンダヴァとの大戦争に敗北し、部下と共にチベットへ逃亡したという説です。チベットの多くの学者たちが彼らこそチベット人の祖先であると主張しています。

 

 

 

 

 

第二の伝説はチベット人は猿、正確には観音菩薩の化身である雄猿の子孫というものです。この雄猿は羅刹女と交わり、次第に猿の特徴を失っていき、父親に似た子供たちは大変慈悲深く、知性があり、豊かな感性を持ち、無駄話をしない者となったといわれ、一方で母親の羅刹女の性格を受け継いだ子供たちは顔が赫く、罪深い行為を好み、非常に頑固であったと言われているのです。

 

 

 

 

 

 

 いずれにしてもチベット族の祖先は大昔からヤルンズァンボ河中流一帯で生活してきました。西暦6世紀、チベットのロカ地区のヤルン部落の首領が部落同盟の指導者となり、「ツァンプ」と名乗り、奴隷制社会に入りました。

 

 

 

 

 

 

 西暦7世紀に至って、ソンツェン・ガンポがチベット全域を統轄しました。これは歴史上「吐蕃」と呼ばれている国です。ソンツェン・ガンポと唐朝の文成公主との成婚は、チベット族の発展に大きな役割を果たしました。元と清はチベット地区を中央王朝の統治の下に置きました。

 

 

 

 

 

 

 20世紀50年代において、チベット地区ではまだ「政教合一」の封建的な農奴制度が実施されていました。1959年に、民主改革が全面的に行われたことによって、チベット地区は社会主義革命、建設の中で貧しくて立ち遅れた様相から逐次抜け出して、活気に満ちた繁栄ぶりを見せるようになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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