楊先生の漢詩朗読(その25. 秋の足音が聞こえる王 維の「山居秋暝」)

スマイル中国語教室

楊先生の漢詩朗読(その25. 秋の足音が聞こえる王 維の「山居秋暝」)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。

 

だんだん涼しくなってきました。夜には鈴虫の鳴き声が響き、秋の足音が聞こえるようになってきました。今日は王 維が詠んだ漢詩「山居秋暝」を中国語で味わってみたいと思います。

 

 

楊先生の「山居秋暝」の朗読はこちらから

 

(原文)

 

山居秋暝 王維

 

空山新雨后 天气晩来秋

 

明月松?照 清泉石上流

 

竹喧?浣女 ??下?舟     

 

随意春芳歇 王?自可留

 

 

 

(書き下し文)

 

山居秋暝 王維

 

空山 新雨の後 天気 晩の秋

 

明月 松間に 照り 清泉 石上に 流る

 

竹 喧しくして 浣女歸り 蓮 動きて 漁舟 下る

 

隨意なり 春芳 歇むも 王孫 自ら 留る 可し

 

 

 

(現代語訳)

 

山での生活の秋の夕暮れ

 

人けのない寂しい山で、新たに降った雨上がりの後

 

夕刻になって、急にひんやりと秋の気配を見せ始めた。

 

澄み渡った月は、松の木の茂みの間から照して

 

清らかな泉からのせせらぎは、石の上を流れている。

 

竹藪の方がかまびすしくなって、洗濯女が一日の作業を終えて楽しげに喋りながら帰って行く。

 

蓮子の花が動くのは、漁舟が川を下って行くからだ。

 

春の風情が終わっていくのは(花が枯れ凋んでも)、別にかまわない。

 

王孫は見捨てることなく、ここに留まっています。

 

 

 

(解説)

 

 

王維は唐の時代に太原祁県(今の山西省祁県東南)に生まれ、熱心な仏教徒であったことから「詩仏」と称されています。

 

15歳で科挙の準備で長安に上ると美貌と文才、音楽や絵画の才能でたちまち社交界の花形となります。

 

 

しかし、その生涯は決して平坦で幸せと言えるものではなくありませんでした。755年安禄山の乱が起こると捕虜になり、不本意ながら安禄山に仕えます。後に解放されますが、玄宗にかわって皇帝になった粛宗に厳しく問い詰められます。

 

なんとか賊軍の中にあって天子を慕う詩を作っていたことと、刑部次侍郎(法務次官)であった弟の王縉の取り成しで降格だけで済まされました。しかし王維は敵に仕えたことをいたく後悔し、出家を願い出ます。結局出家は許可されず、尚書右丞まで進みますが、王維の仏教世界への思いは深まり、一方詩への関心は薄れていきました。

 

 

親孝行で兄弟とも親しみ、妻との仲も『友愛の極』であり、妻の死後、再婚せず、30年間、独身を貫いたと伝えられています。

 

762年に死去後、弟の王縉が王維の詩を皇帝代宗に献上しました。代宗は王維のことを「天下の文宗」と呼び讃えました。

 

 

飢饉の際には自分の職田の粟を飢民のために施すことを求めた上書を書いたこともあり、民政にも力を尽くしています。

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