中央アジアならではの東洋と西洋の歴史の波を受け続けてきたタタール族(何さん特別編)

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中央アジアならではの東洋と西洋の歴史の波を受け続けてきたタタール族(何さん特別編)

皆様、こんにちは!スマイル中国教室のミステリーハンターこと、アシスタントの何です。

 

 今日は中国では新疆ウイグル自治区を中心に生活している塔塔爾(以下、タタール)族について紹介いたします。

 

 

 

 

 

 

 タタール族は中国では新疆ウイグル自治区にウルムチなどの都市でカザフ族、ウイグル族の人たちとともに暮らし、お互いに密接な関係を保ちながら生活しています。イスラム教を信仰する人が多いです。

 

 

 

 

 

 

タタール族の紹介はこちらから

 

 場所や歴史によってタタールという呼び名の定義が変化してきましたが、現在では語弊を恐れずに言うと旧モンゴル帝国系の国の人々の末裔です。元々タタールとはモンゴルの東の地域にいたモンゴル系の遊牧部族タタールを指していました。しかし、12世紀末〜13世紀初めにチンギス・ハーのモンゴル帝国が出現するとタタールは衰えましたが、13世紀にモンゴル人が西へ征伐に赴いた時に、西洋人にモンゴル帝国軍のことを「タタール」と呼ばれるようになりました。更にモンゴル人の打ち建てたヨーロッパとアジアに跨るキムチャクカーン国が滅びた後、15世紀にボルガ川一帯でカザンカーン国がモンゴル人によって打ち建てられましたが、16世紀にロシアに合併されました。そして次第にロシアや旧ソ連圏のエリアに住んでいる人々のことがタタール人と呼ばれるようになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 19世紀頃、ロシアから中国の新疆に移住し、第二次大戦の終了後、更に多くのタタール人が移住して来て、中国のタタール族となりました。

 

 

 

 

 

 

 現在、タタール人はボルガ川中流域のタタールスタン共和国で200万人、隣のバシコルトスタン共和国で100万人が生活しています。中国のタタール族(塔塔爾族)は、中国の新疆ウイグル自治区を中心に生活しており、人口は5000人程と言われています。

 

 

 

 

 

 

 実は日本人でもお馴染みのハンバーグの基となったタルタルステーキを作ったのはタタール人なのです。タタール族がヨーロッパに侵攻していた時代、馬で移動していたのですが、その乗り潰した馬も貴重な食料でした。しかし、馬肉は硬く食べづらく、馬の鞍の下に肉を置いて柔らかくし、さらに細かく切り叩く料理を考え出しました。また玉ねぎや香草を混ぜ込んで肉の臭みを消す工夫をしており、ハンバーグに玉ねぎを入れるルーツもタタール人の発想なのです。

 

 

 

 

 

 また日本でもお馴染みの『韃靼そば』の名は、1840年頃、ドイツの植物学者ゲルトネルが命名した『タタール人のそば』という意味の学術名から来ています。 モンゴルに住んでいたタタール人という民族によって古くから栽培されてきた『苦そば』を、タタール人を表す韃靼(ダッタン)という漢字を用いて、日本では韃靼そばと呼ばれるようになったのです。

 

 

 

 

 

 中央アジアならではの東洋と西洋の歴史の波を受け続けてきたタタール族。国際色豊かな国境を跨いで広く活動する民族なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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