今日は蘇州の拙政園についてお話しします。(楊老師特別編)

スマイル中国語教室

今日は蘇州の拙政園についてお話しします。(楊老師特別編)

皆様、こんにちは!スマイル中国教室の講師、楊 欣然です。今日はゴールデンウィークに行った蘇州の拙政園についてお話しします。

 

拙政園は北京の頤和園、承コの避暑山庄、そして蘇州の留園と並び、中国の4大庭園の一つとされ、それらの中でも中国最大で中国庭園(池・石・木・橋・亭、五つの要素を組み合わせて、世の中に存在しない仙土・桃源郷を現実化させた庭園)を代表するものとされています。

 


(鴛鴦館。西園の中心的な建物。宴会などにも使われた建物で、豪華なつくりとなっている。建物が一部池の上にかかって建てられているのも一つの特徴。)

 

拙政園は78エーカー(約5.2ヘクタール)の広さがあります。公園全体は水を基調として東園、中園、西園の3つの区域に分かれており、特に東園は広々とした空間もさることながら、建物をはじめとした建造物のデザインが洗練されていることで明るく感じられます。また中園は山水花草と木造の楼閣建築が違和感なく、調和した美しい場所です。更に西園の建築物は華やかで美しく、南園は居住区になっています。

 


(見山楼。独特なデザインでどこから見ても美しい建物。)

 


(見山楼の内部。太平天国の時代、蘇州を拠点にした忠王の李秀成が、拙政園を愛し、忠王府を拙政園の中に置いた。忠王李秀成が執務した場所がこの見山楼1階。)

 

拙政園は明の時代の役人だった王献臣が官職を追放され、故郷の蘇州に戻り、寺を買い取って8年の年月を費やし、庭園に改造して造られたと言われています。

 

 

拙政園の由来は潘岳が詠んだ閑居賦の一節の「拙者之為政」からきており、「拙い者がまつりごとをするは悠々自適、閑居を楽しむこと」の意味があり、また「愚か者が政治をつかさどる」という説もあります。

 


(香洲。 香洲は、画舫(がぼう=屋形船)をイメージした建物で、不繋舟とか石舫とか呼ばれることもある。画舫というのは、神仙蓬莱思想の中の「始皇帝と徐福の不老不死の薬」の話から来ている。これは秦の始皇帝の政治が厳格すぎたため、逃れようとする山東の学者、徐福が始皇帝に取り入り、仙人探し、不老不死の薬探しのため、大きな船を建造させ、秦の国から逃げたというもの。つまり画舫というのは、仙人たちが住む島へ旅立つための舟をイメージしているわけで、世俗から逃れ隠遁することを現している。)

 

園内の風景を眺めると、心が落ち着き、夢心地になります。一歩進む毎に、違った風景を見ることができる程、景色が豊かです。園内には様々な景色が重なり合い、ほとんどの空間は細かいところまで使われていますが、空白も持たせることで広々とした印象を与えます。園内には華麗に壁に書かれた文字、床の石板の図柄、また窓の後ろから見える風景を考慮して各々の配置にも気を配る等、精巧に考え抜かれたデザインが至るところにあります。そして花や植物を至る所に配置することで絵のような美しい風景を作り出しています。

 


遠香堂の内部。ガラス張りの窓で、大変明るい。窓ガラスが花窓のデザインになっており、額縁のように外の景観を見せている。)

 

 

 

 

拙政園は見るべき価値の高い中国庭園の一つです。江南水郷をもっと知りたいなら、拙政?の美しい景色を見るべきです。

 


(波状回廊。波状回廊は、その上下左右への曲がり具合が素晴らしい。)

 


(設置されている家具もどっしりした中国家具が多い。蘇州の他の庭園を見ても、これほど立派な家具を置いているところはない。それだけ、王献臣が気に入っていた建物であり、また、客人を最も案内する機会が多かった建物であったのだろうと考えられる。)

トップへ戻る