楊先生の漢詩朗読(その16 西湖の環境整備に多大な貢献し、杭州市民に親しまれている蘇軾が詠んだ漢詩「飮湖上初晴後雨」)

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楊先生の漢詩朗読(その16 西湖の環境整備に多大な貢献し、杭州市民に親しまれている蘇軾が詠んだ漢詩「飮湖上初晴後雨」)

こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。

 

今日は杭州の政治家で文人でもあり、西湖の環境整備に多大な貢献をして杭州市民に親しまれている蘇軾が詠んだ漢詩「飮湖上初晴後雨」を中国語で味わってみたいと思います。西施の美しさに例えた西湖の景観だけではなく、自分が杭州の西湖に対して心血を注いだ事業への誇りも感じ取れまるような気がしました。

 

楊先生の「飮湖上初晴後雨」の朗読はこちらから

 

 

飮湖上初晴後雨 蘇軾

 

水光瀲艶晴方好

 

山色空濛雨亦奇

 

欲把西湖比西子

 

淡粧濃抹總相宜

 

 

(解説)

 

「飮湖上初晴後雨」 蘇軾

 

(白文読み)湖上に飲す初晴後に雨(ふる)

 

水光瀲艶晴方好

 

(白文読み)水光瀲艶として晴れてまさに好く、

 

(現代語訳) 水面がキラキラと輝き、さざなみが揺れている。晴れた日の西湖は実に素晴らしい。

 

山色空濛雨亦奇

 

(白文読み)山色空濛として雨もまた奇なり。

 

(現代語訳) また霧雨で山の色が朦朧とにじんでいる、雨の日の西湖も味わい深いものだ。

 

欲把西湖比西子

 

(白文読み)西湖を把て西子に比せんと欲すれば、

 

(現代語訳)西湖の様子を伝説的な美女【西施】に比べようとすれば

 

淡粧濃抹總相宜

 

(白文読み)淡粧濃抹すべて相よろし。

 

(現代語訳)薄化粧も厚化粧も、どちらも似合っていて、素晴らしい。

 

 

西湖には湖を横切って伸びる二つの長堤があり、ひとつは9世紀初、唐代に白居易が築いた”白堤”、もう一つが11世紀に蘇軾が築いた”蘇堤”です。二人の偉大な詩人が、ともに杭州知事の時に、西湖を浚渫して湖底の泥土を積み上げて作ったのです。

 

 

 蘇東坡は11世紀の北宋の政治家であり、文学者でした。四川省眉山の出身ですが、官吏として2度杭州に赴任しています。本名は蘇軾、号は東坡居士といいます。

 

 

 蘇東坡が杭州で愛されている理由の一つが西湖の蘇堤の造設です。西湖はその美しい景色によって高官貴人や文人墨客を魅了してきただけでなく、豊富な水源によって周りの広大な田畑を潤し、杭州の民を養っていました。しかし周囲の山々から西湖に流れ込む水は同時に、泥や砂も運び、それが積もり積もって湖は浅くなり、しまいには陸地となってしまうのです。そのため、日照りになると田畑は乾き、飲み水に困り、雨が続くと田畑は水浸しになり、街中を船で移動せざるを得ないほど氾濫します。蘇東坡が2度目に杭州へ知州として赴任して来た時、西湖の湖面の半分はすでに泥でふさがっていて、人々の生活に大変な困難をもたらしていました。

 

 

 そこで蘇東坡は20万人を動員して西湖を浚い、掘り出した泥で南北に2・8qの長さの堤を築き、その堤にアーチ型の橋を6つ作って堤の両側の水が流れ、遊覧船が通れるようにしました。後の人は蘇東坡の堤を蘇堤と呼ぶようになりました。また蘇東坡が詩人、文人であったことにより、その芸術感覚を発揮し、それまで泥土が溜まり、水草が伸びていた湖畔を飛躍的に美しい景色に変えていったのです。青い波が透き通り、柳の枝がゆらゆらと揺れ、花々が咲き競い、まるで天国にいるかのようです。 

 

 

 伝えるところによるとその年、杭州の人々は湖を浚い堤を築いた偉業に感謝して、年越しの時に黄酒と豚肉をこぞって蘇東坡に贈りました。この時に考えついた食べ物がのちの人に東坡肉と呼ばれる料理となりました。

 

東坡肉のお話はまた後日!ということで今日はここまでにいたします。また来週の杭州旅行記に続きます。

 

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