中華文明の源となった河南省の古都、洛陽の旅行記(その4.三国志の英雄、関羽の眠る関林)
(財神殿の像。真ん中に関羽、左に養子の関平、右に武将の周倉が祀られています。)
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
先週に引き続き、今週も洛陽の旅行記です。今週は関羽の首塚である「関林」です。関羽は魏、呉、蜀の三国の歴史小説「三国志」でおなじみの蜀の武将です。
関羽は大将軍を昂じて「財神」(商売の神様)とまで、崇められるまでになったので、中国全土のいたるところに彼を「財神」と祀った関帝廟が有ります。日本の横浜の中華街にも有りますよね。
関羽の首が埋葬されている「関林」の「林」ですが、中国の古代封建社会の埋葬としては最高のものです。皇帝でも王でもない将軍だった関羽の廟が「関林」と呼ばれているのは、関羽がそれだけの人物だったことを表しています。
関羽を陥れ、首をとった呉の孫権は、義兄弟を殺された劉備の怒りを恐れて、関羽の首を魏の曹操に送ります。曹操がたくらんだように見せかけたのです。関羽の軍人としての能力、人柄を高く買っていた曹操は、関羽の首を手厚く埋葬したものが「関林」です。
関羽の主君への忠義心が中国人の支持を得ており、関羽は、中国では絶大な人気があります。関羽は「財神」と崇められており、商売繁盛の神として中国人のいる世界中の街の多くに関羽を祀っている関帝廟があります。中国には1100以上の関帝廟がありますが、その中で「林」とつくものはここだけ。ここが関帝廟の総本山となります。関林は広大で主要な建物も多く、三国志および関羽ファン必見の場所となっています。
来週も洛陽の旅行記です。次週もよろしくお願いします。
関林の全体図。広い広場から入り一番奥に関羽の首塚があります。
関林廟の表門前の広場に建つ舞楼。清代乾隆56年(1791)に建立されたもの。
関林の入口付近は広場になっています。表門から広場を抜けます。
関林の山門。広場を潜り抜けてようやく到着しました。
儀門。もとは明朝代の関廟の表門。関林の中へ入ります。
拝殿・獅子道。儀門から拝殿への参道。石の柵板と石獅子が104体もあります。
関羽を将軍として褒めたたえることが書いてあります。
関羽公は素晴らしい大将軍と賞され、様々な伝説とともに小説・戯曲で語り継がれている。そんないわれを刻んだ石柱が並びます。
鳳尾柏。根っこが地上に出たまま数千年成長した柏の木です。枝分かれした根っこが鳳凰の尾に見えることから命名。女の子の成長を祈願します。赤い布に祈願内容を記入して縛り付けます。
拝殿(啓聖殿)。明代万暦21年(1593)建立、関羽像が鎮座。
拝殿・啓聖殿の鋳造品。
拝殿・啓聖殿にある関羽が持ってた「青竜偃月刀」のレプリカ。めちゃくちゃ大きい。重くて全然びくともしません。本当にこんなの振り回していたのかな。
拝殿・啓聖殿の関聖帝君像。
拝殿・啓聖殿。関聖帝君像の左に廖化と養子の関平。
拝殿・啓聖殿。関聖帝君像の右に王甫と武将の周倉。
拝殿・啓聖殿の関羽の肖像画。
財神殿。明代万暦20年(1592)建立。
財神殿の像。真ん中に関羽、左に養子の関平、右に武将の周倉が祀られています。
娘娘殿の像。関羽夫人の像。
春秋殿の関羽像。
関羽の首塚の正面。「漢寿亭候」と贈り名されています。
この関林は三国志の曹操が関羽の霊を鎮めるために諸侯の礼をもってその首を手厚く葬ったところです。
恵義神武と刻まれた関羽の法名の碑が首塚の前にあります。
関羽の法名の碑の下。
首塚の門。門にコインを入れるところがあります。10元を左に4枚、右に6枚入れてお参りして首塚の周りを時計回りに一周するのがお参りの仕方です。
大将軍の格式ではなく、諸侯の格式で葬っており、関羽への贈り名が刻まれています。
一番奥の首塚は八角形で煉瓦塀に囲まれた周囲380m・高さ10m、古木が立ち並んでいます。首塚はこんもりとした丸い山です。周りはぐるりと塀に囲まれているので入ることはできません。
関林周辺の獅子像。
周辺の動物像。中国の皇帝のお墓周りにあるものと同じですね。
洛陽の特産品、菊花石が販売されていました。模様が菊のようです。
洛陽の特産品、菊花石のお土産。
洛陽の特産品、菊花石のお土産。
三国志時代の遺跡。
三国志時代の遺跡。
三国志時代の遺跡。
三国志時代の遺跡。