中華文明の源となった河南省の古都、洛陽の旅行記(その2.河沿いに太古の歴史が広がる龍門石窟)

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中華文明の源となった河南省の古都、洛陽の旅行記(その2.河沿いに太古の歴史が広がる龍門石窟)


(龍門石窟で1番有名な盧遮那仏。中国史上唯一の女帝、則天武后がモデルといわれています。)

 

こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。

 

今週も先週に引き続き、洛陽の魅力をお伝えします。今週と来週は"石窟"編で今週は龍門石窟です。中国太古の歴史ロマンが目の前に広がり、感動しました。

 

(龍門石窟紹介)

 

洛陽はかつて多くの王朝が栄えた場所で、北魏の皇帝の他、中国史上唯一の女帝、唐の則天武后も仏教への信仰が厚く、白馬寺等、盛んに仏教の建築物が建造された。

 

龍門石窟は最も有名なもので北魏時代と唐代に切り開かれ、伊河のほとりの山に挟まれた断崖絶壁の約1kmの区間に高さ17mのものからわずか2pの像まで、10万体余りに及ぶ仏像が400年以上にもわたって掘り続けられた中国の石刻芸術の至宝である。

 

(旅行記)

 

洛陽中心から市内バス(1.5元、日本円で30円弱)で悪路に揺られて30分、見えてきました、龍門石窟!

 

川に沿った約1kmの区間に断崖絶壁に10万体余りに及ぶ仏像が400年以上にもわたって掘り続けられた中国仏教の魂の籠もった神聖な場所。

 

これを作った人はどんな信念を持ち、どんな服装で、どんな姿勢で、どんな道具を使って断崖絶壁に対峙し、掘っていったんだろう、、、。いろいろ考えを膨らませていくと、当時の仏教に対する人々の熱い信仰と共に、石を切り出す技のレベルの高さに圧倒されてしまいました。

 

ただ残念なのは顔だけ砕かれた仏像も多いこと。風化だけでなく、文化大革命や盗掘など様々な歴史の影響を受けているとのこと、、、。長い年月が過ぎ、悲しい歴史を伝えているのが寂しかったです。(次週に続く)

 


この雄大な伊河の河沿いに龍門石窟が続いています。

 


龍門橋の下が入場ゲートになっており、川沿いの遊歩道を歩いて見学できるようになっています。

 


白居易の墓園が対岸に見えます。今回は行けず、残念!!

 


伊河に架かる龍門橋。

 


龍門石窟の案内。西山石窟、東山石窟、香山寺、白居易墓園が含まれます。見どころは西山石窟に集中しています。

 


北魏や唐の時代に断崖絶壁に掘られた洞窟。素晴らしい技術です。

 


仏龕が蜂の巣のように作られています。

 


こんな高い断崖絶壁にまで仏龕が彫られています。

 


蜂の巣のように掘られた仏像郡に沿って階段が張り巡らされています。

 


第712窟 蓮花洞 北魏時代。天井の巨大な蓮の花が見物。仏像の頭部はフランスに持ち出され、ギメ美術館に保管されているとのこと。

 


第140窟 賓陽中洞 北魏時代。柔らかな微笑みに癒されました。目や鼻からも微笑みが伝わります。

 


第104窟 唐の高宗時代。ピースをしているようですね。

 


第159窟 (賓陽南洞)北魏時代。

 


賓陽南洞のアップ。インド・グブタ彫刻の影響も受けているような感覚です。

 


唐武周時代の三体の仏像。

 


遠くから見ると壁の模様のように見えますが、近づいてみると小さな仏がたくさん彫られているのがわかります。

 


龍門石窟で1番有名な盧遮那仏。中国史上唯一の女帝、則天武后がモデルといわれています。

 


奉先寺 唐の高宗時代。毘盧遮那如来を本尊とする奉先寺洞は唐時代の高宗と則天武后の願いにより上元2年(675)に完成。

 


奉先寺洞は玄宗の命により約50体にのぼる等身の如来立像が追刻されています。

 


盧遮那仏を斜め横から見ると、鼻筋が通っていて端正な顔つき。まぶたや頬が大きくふくらむその面貌には、インド・グブタ彫刻の影響をみることができます。

 


盧遮那仏の右壁の彫刻。

 


盧遮那仏の右壁の細かい彫刻。

 


中国要人の写真。周恩来も来られたことがあるんですね。

 


龍門石窟の歩道に書かれた漢字。どこかの石窟に書かかれた漢字を書いたのかな。

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