楊先生の漢詩朗読(その43. 前途が見えず人生の苦しみに耐えなければならない気持ちを詠んだ、王安石の漢詩「泊船瓜洲」)
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。
だんだん気温も暖かくなってきましたね。今日は春の訪れの良き日ではあるが、前途が見えず人生の苦しみに耐えなければならない気持ちを詠んだ、王安石が詠んだ漢詩「泊船瓜洲」を中国語で味わってみたいと思います。
(白文)
泊船瓜洲 王安石
京口瓜洲一水間,
鍾山只隔數重山。
春風又麹]南岸,
明月何時照我還。
(書き下し文)
船を瓜洲(くゎしう)に泊す 王安石
京口 瓜洲 一水の間,
鍾山 只だ 隔つ 數重の山。
春風 又た 高ノす 江南の岸,
明月 何れの時か 我の還るを 照らさん。
(現代語訳)
船を瓜洲にとめる 王安石
京口と瓜洲との間は、一すじの川の流れが隔てるだけ。
東南をふり返れば、あのなつかしい金陵の鍾山は、幾つかの山が重なって隔たっているだけだ。
春風はわたしにおかまいなしに江南の岸を緑にするだろうが、
あそこへ帰るわたしを明月がてらすのはいつのことだろう。
(解説)
王安石が熙寧7年(1075)宰相を辞し、南京に引き籠った後、その翌年に再び宰相に任ぜられて、都であった開封へ趣いている時の気持ちを詠んでいます。
瓜洲は長江北岸の交通の要所で、また京口は長江南岸にあり、瓜洲と対して蘇州の方へ通ずる運河の起点で交通の要所でした。
鍾山は当時の江寧府、今の南京の市街の東北にある山で王安石の家は、市街からこの山へ行く途中にあったようです。つまりここでは王安石の住まいという意味です。
明月は、いつわたしが失脚して故郷へ帰る姿を照らし出すのだろうか。つまり今日は都に赴くの良き日だが、いつかまた失脚させられるかもしれない。これからの人生に一抹の不安も表し、歩みを止められない苦しい気持ちを表しているのです。.