三国の呉や六朝・明・中華民国などの都として栄えた南京(その2.近代史博物館となっている南京総統府)
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今週も先週に続き、南京の旅行記をお伝えいたします。第2回目となる今週は近代史博物館となっている南京総統府です。
南京市は江蘇省の省政府機関が置かれている省都です。南京市に観光で訪れる日本人は多くないですが、見るべき観光名所は多く、近代史博物館となった南京総統府も代表的な観光スポットになっています。
この地の歴史は古く、元々は代初期の王族の住居でしたが、清の時代に江蘇、江西、安徽、上海を総括する両江総督府が置かれました。
しかし、清朝末期の1851〜1864年に起こった太平天国の乱の指導者であった洪秀全が南京を首都とし、両江総督府跡を天朝宮と命名して行政の中心としました。
その後1911年に清朝を倒した辛亥革命によって南京総統府は1911年の辛亥革命により、1912年1月に南京総統府に中華民国臨時政府が樹立され、孫文が中華民国臨時大総統となり、ここで執務しました。中華民国の首都が南京であったことから、行政の中枢であった場所です。
1928年に中華民国主席となった蒋介石は、この地を政府所在地と定め、1948年には総統に就任し、総統府と呼称するようになりました。現在の中華人民共和国政府はここを江蘇省政府の行政府として使用していましたが、現在は総統府遺跡として一般に公開されています。
ここでは蒋介石の執務室や国民政府要人らが集った会議室などを見学できるようになっています。蒋介石がここで政務を行っていた部屋や、清朝時代の衣服が飾っています。
残念ながらここでも日中戦争の南京戦では、総統府正門において日本軍は南京占領後、この前で入場式を行なったようです。現在の総統府正門は2003年に修復されたものでヨーロッパの凱旋門を模したと言われています。
次週も南京の旅行記となります。よろしくお願いします。
(総統府正門。2003年に修復されたもの。ヨーロッパの凱旋門を模したと言われる。日本軍は南京占領後、この前で入場式を行なったと言う)
(正門を入ると広い中庭があり、正面に大堂がある)
(大堂の壁には総統府にまつわる歴史的な人物の肖像画がある。)
(太平天国時代の様子)
(太平天国時代の様子)
(太平天国時代の様子)
(太平天国軍のレリーフ。太平天国に関する資料館に通じる中庭にある。)
(秀全はキリスト教の影響を受けた秘密結社である上帝会を率い、清朝打倒を宣言して挙兵した。)
(洪秀全の執務室。太平天国関係の文物が保存され展示されている。)
(国民政府総統府執務楼。)
(国民政府総統府執務楼 蒋介石総統執務室)
(夕佳楼。太平湖畔にある。 19世紀後半の清朝同治9年に作られた楼閣。夕日の余光を映して美しく輝くということから命名されたとある)
(孫文事跡展示館。孫文に係るさまざまな出来事、遺品などを展示)