楊先生の漢詩朗読(その28. 「幾多愁」としてテレサ・テン(ケ麗君)も歌った李 Uの漢詩「虞美人」)

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楊先生の漢詩朗読(その28. 「幾多愁」としてテレサ・テン(ケ麗君)も歌った李 Uの漢詩「虞美人」)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。

 

今日は李 Uが詠んだ漢詩『虞美人』を中国語で味わってみたいと思います。

 

楊先生の漢詩『虞美人』の朗読はこちらから

 

 この漢詩は 「幾多愁」としてケ麗君〈テレサ・テン〉が1983年に発表したアルバム「淡淡幽情」に収録されている曲としても有名です。
ケ麗君〈テレサ・テン〉が1983年に発表したアルバム「淡淡幽情」に収録されている楽曲はこちらから

 

 「幾多愁」は、李 Uが【虞美人】の曲に乗せて、自らを虞美人に擬えて幾多の愁いと望郷の念とを詠じたものです。

 

 

 

虞美人 李 U

 

春花秋月何時了,
往事知多少。
小樓昨夜又東風,
故國不堪回首 月明中。

 

雕欄玉砌應猶在,
只是朱顏改,
問君能有幾多愁。
恰似一江春水 向東流

 

(白文読み)

 

虞美人 李 U

 

春花 秋月  何の時にか了らん,
往事  多少(いくばく)かを 知らん。
小樓 昨夜 又 東風,
故國は 回首に 堪へず  月明の中。

 

雕欄 玉砌(ぎょくせい) 應に猶ほ 在り,
只だ是れ 朱顔 改まる,
君に問ふ:能く 幾多の愁ひ 有りや
恰も似たり 一江の春水の 東に向かって流るるに

 

(現代語訳)

 

春の花が咲き、秋の月が冴え渡るこの季節の移ろいは、いつ終わるのだろうか。

 

昔、王として過ごした栄華はどれほどだろうか、限りがない。 

 

私のいる小さな高殿にも、昨夜またも故国の方から春風が吹いてきた。 

 

自分の生まれた南唐は、月明かりの中で、ふりかえるのに堪えられない(あまりにも多くの物事を思い起こしてしまうから)。

 

彫刻を施した欄杆と大理石のきざはしは、きっとまだ残っているだろう。 

 

ただ、若い顔だちが改まって、年を取ったことだけだ。

 

きみに問うが、愁いは、どれぐらいあることだろうか。

 

ちょうど川いっぱいの春の流れが、東に向かって流れていくようなものであって尽きることがない。

 

(解説)
 この漢詩の作者、李Uは五代十国時代、今の江蘇省、 江西省、福建省を中心に、三代にわたって栄えた南唐最後の国主でした。李U は文学的・芸術的な才能に優れた人でしたが、君主としての政治的能力はほとんどなく、この当時北西方の強国「宋」の圧力に屈して、自身の江南国の都の金陵(南京)から、北西にある宋国の都の開封に連行されて軟禁生活を送っていました。

 

 しかし975 年の暮れ、宋軍の侵入を受けて、首都南京から宋の都、?梁に拉致され、2年半余りの軟禁生活の後、42 歳の誕生日に毒殺されたようです。

 

 この漢詩は宋に捕らえられ、軟禁された時のものです。軟禁生活は耐えられず、昔は良かった、と思い出に浸って、自分の憂いをひたすら美しく歌い上げています。ひたすら、やつれ果てた自分の姿をいとおしみ、昔の自分はイケメン(紅 顔)だったと、哀愁を帯びた漢詩なのです。

 

 因みにこのブログの中で中国四大美人である楊貴妃、王昭君、西施を紹介させていただきましたが、虞美人もその1人と数えられることが多いです(虞美人ではなく、貂蝉が入ることが多い)。秦を倒した英雄・項羽の愛人として有名です。

 

 この漢詩は詞と呼ばれる元々は既成の曲に合わせた替え歌のようにして作られたものです。詞のために作られた曲の名称を「詞牌」といい、それぞれの詞牌を区別するために、「虞美人」、「竹枝」、「鶯啼序」などの曲名が付けられています。詞は、それぞれの詞牌ごとに定められた形式に従って作られますが、その内容は必ずしも詞牌の曲名通りとは限らないため、虞美人に関する内容はないのはそのためです。

 

 

因みにひなげしの花は別名、虞美人草とも呼ばれ、中国の故事に由来します。三国志の時代、楚国の武将 項羽には、虞美人(虞姫)という美しい妻がいました。敵対している漢の国が楚国に攻め込んできた際、虞美人は項羽の足手まといにならないよう、自害してしまいます。その虞美人の亡骸のそばに、ひなげしの花が咲いていたことから、虞美人草と言われるようになりました。

 

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