北方民族との戦いが繰り広げられた仏教遺産の町、大同(その4.“東洋のビィーナス”が印象的な華厳寺)

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北方民族との戦いが繰り広げられた仏教遺産の町、大同(その4.“東洋のビィーナス”が印象的な華厳寺)

スマイル中国語教室のマーシーです。今週も大同の特集で華厳寺についてです。 

 

 華厳寺は大同市の西部にあります。同じ場所に上下二つの華厳寺が建てられており、それぞれ、遼、金代の中国における華厳宗の重要寺院の一つです。

 

上華厳寺の大雄宝殿は中国でも有数の伽藍のひとつといわれ、遼、金代の建物としては現存する最大規模のものといわれています。また、軒高9.5メートルの寄棟造りの屋根におかれた琉璃製の瓦もすばらしいです。殿内には明代の5体の仏、20本の諸天の塑像があるほか、清代の壁画も保存されています。

 

 下華厳寺の主要な建物である薄伽教蔵殿には、遼代の塑像が31体安置され、いずれも中国仏教芸術を代表する逸品といわれています。華厳寺内には、大同市博物館があり、その収蔵物は北魏の出土文物、遼代の芸術品に特徴があります。

 

 下華厳寺の釈迦仏の脇侍菩薩は上半身を少し傾け合掌し、少し歯を見せてほほ笑んでおり、その柔らかな微笑みからW東洋のビィーナス”と言われています。この菩薩には伝説があります。昔、工事監督が老いた職人の仕事が終わってないのを見つけ、罰として酷く棒で打とうとしました。その時、その職人の娘が進み出て父の代わりに私を打ってくださいと言ったので、工事監督は、この娘の上半身を剥ぎ、棒で打ってさらしものにされました。刑罰の後、娘はまわりをそっと見てからにっこりと笑い、鉄鐘を鋳込むための鉄の溶湯の中に身を投じました。娘は白雲となって天に昇り、小路監督は撥ねた鉄の溶湯を被って焼け死んだそうです。これを見たひとりの若い職人が、娘の生前のにっこり笑った目つきや肢体を菩薩に彫りあげたものとの伝説が残っています。

 


上華厳寺の 大雄宝殿。北魏時代の美しい仏像がある。

 


上華厳寺の大雄宝殿の石碑。

 


上華厳寺の大雄宝殿の石碑。

 


華厳寺の文殊閣。

 


上華厳寺の大雄宝殿の経文。

 


上華厳寺の大雄宝殿の魔よけの獅子。

 


上華厳寺の普光明殿。

 


上華厳寺の普光明殿。

 


上華厳寺の普光明殿。鴟尾(しび)は,防火するとされる架空の生き物。

 


上華厳寺の普光明殿。

 


遼代1062年建立、金代1140年再建の大雄宝殿。斜斗拱に金代の特徴が出ている。いわゆる減柱法により前方空間を広く取っている。4.5mの鴟尾は金代のもの。月台は、高さ4m凸型形状で、遼金代の典型。仏像は明代のもの。木組は、材が太く豪快、壁面は清代の壁画で埋め尽くされている。

 


上華厳寺の大雄宝殿の釣鐘。

 


上華厳寺の大雄宝殿の灯篭。

 


上華厳寺の大雄宝殿。

 


上華厳寺、大雄宝殿の5体の仏像。明代に作られたもの。

 


上華厳寺、普賢閣の木製の菩薩像。象に乗っています。

 


上華厳寺、大雄宝殿の天井。美しい模様があります。

 


上華厳寺。石炭の暖炉の煙突があります。

 


上華厳寺。石炭を集める人もいました。まだまだ石炭が使われているようです。

 


下華厳寺。北魏時代の美しい仏像がある。

 


下華厳寺。独特な黒壁。

 


下華厳寺。ユーモラスな獅子。

 


下華厳寺。北魏時代の美しい仏像がある。

 


下華厳寺。美しい仏像。

 


下華厳寺。独特な龍の魔除け。

 


下華厳寺。魔除けの龍の後ろ側。

 


下華厳寺。龍の彫刻が多い。

 


下華厳寺。魔除けの龍に近づいてみます。どことなく愛嬌のある顔をしてますね。

 


下華厳寺の薄伽教藏殿。

 


下華厳寺の薄伽教藏殿の門。

 


下華厳寺の薄伽教藏殿。一段高い月台上に、1038年建立、内部に38間の蔵経閣と天宮楼閣5間と、中央には遼代の塑像29尊が安置される。

 


下華厳寺の石碑。杜甫の直筆。

 


下華厳寺の石碑。

 


下華厳寺の石碑。

 


下華厳寺の薄伽教藏殿。殿内を巡っている経を納める書棚で、内側には2階建ての本格的な遼代建築がある。

 


下華厳寺の釣鐘。

 


下華厳寺。鴟尾(しび)は,防火するとされる架空の生き物。

 


下華厳寺の薄伽教藏殿。

 

 


下華厳寺の釈迦仏の脇侍菩薩。上半身を少し傾け合掌し、少し歯を見せてほほ笑むことで“東洋のビィーナス”と言われています。この菩薩には伝説があり、昔、工事監督が、老いた職人の仕事が終わってないのを見つけ、職人を罰として酷く棒で打つよう命じました。その時、娘が進み出て、父の代わりに私を打てと言ったので、工事監督は、この娘の上半身を剥いて棒で打たせ、これを曝しました。刑罰の後、娘はまわりをしみじみとみてにっこりと笑い、鉄鐘を鋳込むための鉄の溶湯の中に身を躍らせました。娘は白雲となって天に昇り、監督は撥ねた鉄の溶湯をかぶって焼け死んだそうです。これを見たひとりの若い職人が、娘の生前のにっこり笑った目つきや肢体を菩薩に彫りあげたものとの伝説が残っています。

 


下華厳寺の薄伽教藏殿の説明文。

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