大理石の産地として栄えた風光明媚な高原の古都、大理(その2.大理古城にある古い民家を再利用した宿舎と大理市博物館(杜文秀元帥府))

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大理石の産地として栄えた風光明媚な高原の古都、大理(その2.大理古城にある古い民家を再利用した宿舎と大理市博物館(杜文秀元帥府))

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。

 

 今週も雲南省大理の旅行記です。第2回目となる今週は、大理古城にある古い民家を再利用した宿舎と大理市博物館(杜文秀元帥府)です。

 

(1)古い民家を再利用した宿舎

 

 今回泊まったのは大理古城の民家を使ったホテルの大理松梅源酒店でした。受付の女性を含め、女性職員がすべて白族の衣装を着ている他、細かな木彫りの壁に囲まれた大理地方の独特の建物から観光客に大理の昔の暮らしを感じることができ、楽しませてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2)大理市博物館(杜文秀元帥府)

 

 大理市博物館は、革命家の杜文秀の元帥府であった場所です。元々は大理提督府役所であったところに設置され、博物館として現在は一般に公開されています。

 

 文秀は、1823年雲南省永昌府保山県の金鶏村の農家に生まれました。1845年の回族虐殺事件で家族が殺され、北京の清朝へ訴えに出ましたが、相手にされず、帰郷後も回族への抑圧が続いたため、1856年、回族、及び白族、イ族等も率い、大理古城を攻め落とし、革命政権を樹立しました。清軍を各地で破り、全盛期には雲南西部53県を占領しました。

 

 革命政権では、諸税の廃止や軽減を図り、農業と商工業の発展に努めました。しかし、太平天国革命の失敗で、形勢が逆転していき、1869年の昆明包囲戦で敗北し、1873年1月に清軍によって大理古城は攻め落とされ、家族と共に自殺しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次週も大理の旅行記となります。よろしくお願いします。

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