中国の顔ともいえる、首都北京の旅行記(その5.世界最大・最長の巨大建造物『万里の長城』)

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中国の顔ともいえる、首都北京の旅行記(その5.世界最大・最長の巨大建造物『万里の長城』)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。

 

今週は北京旅行記の第5回目として 世界最大・最長の巨大建造物『万里の長城』について紹介させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 万里の長城は現在の甘粛省西端にある玉門関から東は朝鮮半島北部あたりまで達しています。その圧倒的な姿は幾重にも、重なる緑深き山にも、草木がそよぐ平原にも砂塵が舞う砂漠まで続いており、まるで巨大な龍がうねっているようです。

 

 

 

今回は北京近郊にある「八達嶺長城」でしたが、長城がきれいに山上に見え、美しかったです。

 

 

 

 

万里の長城の建築された一番の目的は北方騎馬民族からの防衛でした。もともとの長城は”城”とは言い難く、土塁のようなものであり、石造りのものは明代に入ってからのようです。私たちがイメージする万里の長城はかけ離れた形状をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

攻めてくる相手は、馬で攻め込んでくる北方の騎馬民族。騎馬に対抗するためには、馬の勢いを止めることが肝要です。そのために高さ2〜3メートル、幅が3〜5メートルほどの土塁を作られたのが始まりとされます。高い土塁で敵が馬から降り、隊列が乱れて隙ができたところに襲いかかるという戦法をとっていました。また石を積むより容易だったのではないかと推察されます。

 

 

 

 

 

 

 

また、もう一つの目的について遊牧民族の南下を防ぐためであったとも言われます。羊は南の豊かな草地へと移動していくため、飼育している遊牧民族も入ってきます。それを防ぐために羊が越えられない土塁を延々と作ることで、遊牧民族は人数が少ないため、たくさんの羊を抱えて越えられず、南進が止めることができました。土を腰の高さまで盛るくらいなら何百キロでも作れないことはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

万里の長城は毛沢東に「不到長城,非好漢」 (万里の長城に行かなきゃ男じゃない!)とも言われた場所です。高い目標を目指して、最後まで頑張らないものは男子ではないということで使われます。このように漢民族の誇りとして形容されるほど、尊重された万里の長城ですが、風化が進み、そのスケール故の保全活動が大きな課題となっています。 一部の地域では、専門知識がない地元民による補修がボランティアで行われたり、コンクリートなど現代の素材を使った修繕が施されたりと、いつまでも中国を代表する歴史的巨大建造物として残すために未だ問題山積なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今週は万里の長城についてお伝えしました。次週は北海公園についてお伝えします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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