内モンゴル自治区の異国情緒豊かな玄関口、呼和浩特(フフホト)(その3.中国4大美女の一人、王昭君の陵墓、青塚)

スマイル中国語教室

内モンゴル自治区の異国情緒豊かな玄関口、呼和浩特(フフホト)(その3.中国4大美女の一人、王昭君の陵墓、青塚)

皆様、こんにちは!! スマイル中国語教室のマーシーです。

 

 今週も先週に引き続き、内モンゴル自治区の区都、呼和浩特(以下日本語読みでフフホト) の旅行記です。今週は中国4大美女の一人、王昭君の陵墓です。

 

 時は漢の時代。北方民族の匈奴と漢王朝はたびたび衝突をしており、漢王朝は北方民族対策として、宮廷の女性を北方民族の君主に妻として与えるという政策を取っていました。

 

 漢王朝の元帝は絵師の描いた肖像画によって後宮の女性を選んでいました。後宮の女性たちは美しく描いてもらうために、絵師に賄賂を渡していたのですが、王昭君は絵師に賄賂を渡さなかったために醜く描かれてしまいます。

 

 

 匈奴の呼韓邪単于が宮廷にやってきた時、元帝は醜く描かれていた王昭君を選んで与えることにしました。ところが実際に会ってみると、王昭君は大変な美女。呼韓邪単于と既に約束してしまっていたため、仕方なく妻として与えます。

 

 匈奴に嫁いだ後も、悲劇が続き、夫である呼韓邪単于の死後、匈奴の風習により義理の息子の妻にしぶしぶなるなど、波乱万丈の人生を送ったのでした。

 

 王昭君の「青塚」と呼ばれています。これは他の草が白くなる時期にこの墓に咲く草だけは青々としており、王昭君の魂の再生復活をその青草に期待し、願望したことから名付けられたと言われています。陵墓の周囲には王昭君の郷里の家を再現した建物や庭園が整備され、また敷地内には匈奴博物館などがあります。

 

 呼韓邪単于と馬に乗ってまたがる王昭君の像。歴史に翻弄された悲劇の美女に思いをよせながら、フフホトの次の場所に向かうのでした。(次週へ続く)

 


(王昭君の陵墓の入り口です。)

 


(入口の記念碑。王昭君の苦労を労ったものです。)

 


(他の中国の皇帝の陵墓のように入口に動物の像が陳列されています。)

 

 

 

 

 


(王昭君の像です。美しい!)

 


(奥の陵墓に向かいます。陵墓は青塚と呼ばれています。)

 


(匈奴の呼韓邪単于と馬に乗ってまたがる王昭君の像。歴史に翻弄された悲劇の美女に思いを寄せます。)

 

 

 


(王諸君の陵墓、青塚です。草が青々としています。)

 


(青塚前の石碑。)

 


(青塚の上から見た参道。)

 


(青塚の上に登ります。)

 


(青塚の上の王昭君の石碑。)

 


(王昭君の肖像画が描かれた石碑があります。)

 


(王昭君の肖像画。)

 


(石碑の裏側です。)

 


(青塚の上に植えられた花々。)

 

 

 


(青塚の上から見た景色。)

 

 

 

 

 

 

 


(青塚の周りには王昭君の庭園などが再現されています。)

 

 

 


(お線香をあげていきます。)

 


(王昭君の住居を再現した記念館です。)

 


(王昭君の住居を再現した記念館。穀物を脱穀する装置です。)

 

 

 

 

 


(王昭君陵墓の横にある匈奴文化博物館。)

 


(呼韓邪単于と王昭君のマネキン。)

 


(漢の時代の中国の勢力分布図。北方民族匈奴が大きな勢力を締めています。)

 


(匈奴との歴史が記述されています。)

 

 

 


(匈奴の将棋。)

 


(匈奴の金の装飾品。)

 

 

 


(匈奴の青銅の鎧など。)

 

 

 


(匈奴の壁画など。)

 


(青銅の兜と武器。)

 


(匈奴の金の装飾品。)

 


(青銅の剣。)

 

 

 

 

 


(中國4大美女の肖像画。左から貂蝉(後漢)、王昭君(前漢)、西施(春秋時代)、楊貴妃(唐)。どの女性も美しいですが、その人生は波乱万丈で不幸な人生を送っていますね。)

 


(青銅の装飾品の数々)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(屋根瓦など。)

 

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